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志水宏吉『学力格差を克服する』を読んだ!

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タイトルのとおりだが、読んだ。冒頭11ページに「これまでの研究の総まとめ」が執筆の動機だとあるが、確かに著者のこれまでの研究が網羅されており、良くも悪くも集大成と呼べる書籍になっていると思う。

「良くも悪くも」というのは、たしかにこれまでの著者の研究のまとめという意味では良い本だが、一方で、著者の研究の課題も浮き彫りにしていると思ったからである。一般向けの新書としてわかりやすく説明したために、課題もクリアに現れている。

とくに引っかかったのが次の文章。

そもそも格差の克服といった時に、どのような事態を想像すべきだろうか。・・・(略)・・・「学力保障」の観点からすると、次のように考えることができる。先ほどと同じ設定(「できる層」の平均点が70点、「できない層」のそれが40点)で考えてみる。「全員がしっかりがんばろう」と目標を立て、勉強をした。その結果、次のテストで、「できる層」は平均で85点、「できない層」も平均で50点をとったとする。差は35点(!)と拡大しているわけだが、それでまったく問題ないと、私は考える。なぜなら、「できない層」の学力水準を確かに底上げすることができたからである。

志水宏吉,2020,『学力格差を克服する』ちくま新書,pp.45-46.

この文章は変だ。そもそも学力の「格差」というのは「できる層」と「できない層」がいるといった話ではなく、「黒人と白人」「お金持ちと貧しい人」といった社会集団間の学力の差を指すはずだ。それに「できる層」と「できない層」の差が拡大しているということは、学力の格差も拡大している可能性が高い(ひょっとしたら、していないかもしれないが)。これを格差の克服と呼んでいいのだろうか。著者が何を理想としているのか、わからなくなってしまった。

こうした混乱が生じる原因は、おそらく「学力をどう捉えるか」という問題に対する考察が弱いことにあるように思う。(教育)社会学の観点から見ると、学力とは所詮「今、この社会で必要とされる能力」でしかない。社会が変われば、必要とされる学力(能力)も変わるだろう。こうした認識は社会学やその近接領域にとっては常識に近い見方だし、著者も触れてはいるのだが、どうも著者はそこはスルーして、素朴に「学力は1点でも高いほうが良い」と考えているように思える。先に引用した文章もそうだが、第5章の議論も楽観的というか、もう少し慎重に考察すべきであるように感じた。

もっとも、「じゃあどうすればいいんだ?」と聞かれても、私もすぐに答えが出るわけではない。著者からの宿題だと思って、もう少し考えてみることにする。

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