巷で話題の学力の経済学/幼児教育の経済学を読みました。
どちらも内容については、Amazonのレビューなどを参考にするのがよいと思います。大変よい本です。
とくにランダム化比較試験の重要性やら、幼児教育の重要性やら、非認知能力の話やら、日本の教育でまだまだ議論になっていなかった話をわかりやすく書いてくれているところがポイントが高い。
いい本なので「とりあえず読め」なのですが、ちょっと気になったことがあるので、そちらについて書きます。
教育政策の話で子育ての話じゃない
当たり前なのですが、本書に書いてあることは「○○○をすれば、かならず〜〜〜になる」っていう話ではないです。いろんな人を対象に(擬似)実験をしてみると、「○○○をすれば、〜〜〜になる傾向がある」っていうだけです。
これは、教育に限らず、医療でもそうだと思いますが、すべての条件が同一の個人を二人用意することはできないので、「○○○をすれば、かならず〜〜〜になる」ということは言えません。予防接種だって「100%効くとは限りませんし、副作用があるかもしれませんが、いいですか?」みたいなこと聞かれますよね?それと似たような感じです。
この辺を勘違いしているのか、わざと無視しているのか「そうか、○○○をすればいいんだ!」みたいなコメントを書いている人がチラホラいますが、かれらは「そのとおりにならない可能性もある」ってことを理解しているんだろうか?と不安になりました。
何がいいたいかというと、「本書を子育ての参考にしてもよいですが、かならず書いてあるとおりにいくとは限りませんよ」ってこと。まあ、どこかの誰かの成功体験を聞くよりは遥かにいいでしょうが、それでもやっぱり参考にしかならないと思います。
あくまで「教育政策の本」と割りきって読んだほうがいいでしょう。
成果を測っても皆が幸せになるわけじゃない
これも当たり前といえば当たり前ですが、「教育の成果」をきっちり測ったからといって、それだけでよい社会が訪れるわけではないです。
たしかに日本は「教育の成果」をきちんと測っていませんが、だからといって成果をきちんと測っているアメリカの小中学校教育が優れているかというと、それは怪しい気がします。
むしろ、NCLB(No Child Left Behind: 落ちこぼれ0法案」なんかをめぐる議論を見ていると、成果を測ることに伴う弊害と必死に戦っている感じがします。
きっちり測ることは重要ですが、それは議論の出発点に過ぎないってことはもっと強調しても良いかなあと思いました。
あと、この手の話と絡んで皮肉を言っておくと、きっちり測定する社会で、間違いなく幸せになるのは誰かというと、「測定に関わる人たち」です。
教育においては、この派(専門職に従事したり、マネージメントの専門知識を持つ新中産階級)は、狭義のアカウンタビリティに基づいた卒業・進級テストや統一テストなどの政策を支えると同時に、彼ら自身こうした諸政策から恩恵を受けている。というのも、彼らこそがこうしたシステムを稼働させるうえで不可欠な技術的ノウハウを持っているからである。(『批判的教育学と公教育の再生』p.26)